復興ヒーロー紹介

震災なんかには負けないよ。おいしさでも誰にも負けないよ。

高橋 清隆(たかはし きよたか) / 岩手アカモク生産協同組合 / 岩手県山田町

2014年4月6日

アカモクの普及、そして「浜の暮らしの安定」を目指して。

 

高橋 清隆(たかはし きよたか)

 

岩手アカモク生産共同組合(岩手県山田町)

http://www.ariv.co.jp/producer02.html
1998年に設立、アカモクに特化した協同組合。漁協にも所属している漁師たち26名が登録し、アカモクの収穫から加工、販売までを一環して行う。

◆主要商品◆
・アカモク(湯通し3連パック)
・アカモク(原藻)
・アカモク(乾燥粉末)

<岩手アカモク生産協同組合> 

 ―アカモクとの出会い

元々父親がわかめ問屋をしていました。私は24歳のとき、サラリーマンを辞めて実家に戻りました。ちょうど中国産わかめが入ってきて、国内でもコストカットのために問屋を通さない漁協からの直販が開始した頃でした。


そのため、父子には「何か新しいことに取り組まなくては」という危機感がありました。

そんなある日、秋田ナンバーのトラックが浜から大量の草を積んで行くのを父が見かけました。「彼らはなぜ草を持っていくのだろう」と疑問に思った父は秋田まで出向き、それが”アカモク”であり、また”食べるもの”であることを知りました。そして、「他県に持っていかれるくらいなら、自分たちで処理をして販売したい」との思いから、アカモクに挑戦することを決めました。

 

―岩手アカモク生産協同組合の設立

父が主体となり、協同組合の設立を行いましたが、代表理事には私が就任しました。当時の私はビジネス経験もロクにありませんでしたが、今思うと「この事業はお前の代の事業だから、お前が代表になっておけ」という父からのメッセージだったのだと思います。

アカモクは漁師にとっても食べものではなく「いつも網に絡まって邪魔なもの(=ジャマ藻)」という認識しかなかったため、アカモク採取を行う漁師探しも最初は全滅でした。ですがあるとき同級生の父親がアカモクをを採り始めてくれ、その様子をみて徐々に「俺にも採らせてくれ」という声が漁師たちから上がり始めました。

父と私は昆布やわかめに関しての知識はありましたが、アカモクに関してはゼロからのスタートです。さらに、採れる期間の短いアカモクに対してもビジネスサイドは年間安定供給を求めていました。そのため、最初の2年はアカモクの研究に没頭しました。

初めて営業をかけたのは、設立から2年半後でした。地産地消の追い風もあって、最初岩手県内で営業をかけ始めましたが最初はやはり「これは食べ物か?」という反応で、からっきしダメでした。というのも、岩手には既にわかめ、こんぶ、めかぶ。ふのり、ひじき、まつも、岩のりなどと、美味しい海藻が豊富にあり、新しい海藻へのニーズがなかったからだと思います。

5〜6年経った頃、ようやく受け入れられ始めました。2008年には大手海藻からの受注があったり、販売戦略を岩手中心から首都圏中心へと切り替えたことが功を奏し、初めての特需を迎えました。その後は大手コンビニエンスストアとのコラボレーションなどを通して、少しずつですが成長を続けてきました。

<東日本大震災>

―東日本大震災を経て

ようやく黒字化を達成した2010年。3期連続の増収・増益で2011年の黒字も見込め、「ついに俺もアカモクで一旗揚げられるぞ。」と勇んでいました。そして2011年のアカモク採取開始の1週間前。東日本大震災が起きました。当時は事業云々ではなく、「どう生きるか」の問題でした。

自宅と工場は車で30分くらい。経って携帯がつながり、道路が通った6月の末にようやく工場を見に行くことができました。幸運なことに工場は津波の被害を免れていました。浜からの距離は200m。南に1km進んだ地域では浜から3〜4kmの辺りまで全壊していたことを考えると、ただただ運が良かったとしか言いようがありません。ですが、工場が残ったとはいえ漁師にとって1番の仕事は牡蠣の養殖。

アカモクは2番目。がれき撤去にも人員を割かれ、漁協も復活しない中ではアカモクの原料が手に入らず、しばらくは何もできませんでした。

その上放射能の話も出てきて、「作っても売れないのではないか」という被害妄想も芽生えてきて、苦悩の日々を過ごしました。

 

ただその一方で、アカモクの供給に関しては必ず復活するという自信もありました。アカモクは記録上1万年前からある海藻の品種。この程度の地殻変動は幾度も乗り越えて、淘汰されることなく生き残ってきたからです。なので、「今回も必ず復活する」とアカモクをを信じていました。あとはそのスピードの問題だと。

 

―復興へ向けて

未曾有の大災害からの復興。何事も決めつけることなく、まずは確認だと思い、2012年の春、アカモクの放射能検査をしたところ幸いなことに放射能は検出されませんでした。漁の再開には至っていませんでしたが、嬉しいことにこの間にも震災前の取引先から「アカモクを出せないか」という問い合わせはひっきりなしにきていました。2012年には新規の問い合わせもきており、またアカモクの機能性の研究も続けていたので「これからもやる意味はある」と前向きな考えを持ち初めていました。

私個人としては、その間残った工場を活用して他社からの乾燥粉末の委託加工などを引き受けていました。もちろん他の産地から原料のアカモクを持ってくることもできたが、「岩手アカモク」を冠する経営者としての想い、また漁師の顔を思い浮かべて「2013年までは岩手のものを待とう」と決めていました。結果、20tのみとごくわずかではありましたが採取することができ、現在も岩手のアカモクにこだわって生産をしております。

 

<地域横断アカモクプロジェクト>

―赤間さんとの出会い

震災後、周りを見ると自分らよりも大きな被害を被った方々が多数いたため、行政や民間、NPOからの支援も断り続けていました。
たまたま2013年秋、半年後には本格的に事業再開できるというときに知り合いの社長から「三陸フィッシャーマンズ・キャンプ」への誘いを受け、参加しました。
最初はよく分からない団体の研修ということで不安もありましたが、実際に参加して刺激を受ける中で意識が変わってきました。
特に三浦功氏(日本マーケティング塾)や高島宏平氏(オイシックス)の講義を受け、自分の中で止まっていた時間、止まっていた感覚を思い出させてもらい、また周りの前向きな水産業者を見て、「自分は止まっていたが、走り続けていた方もいたのだ」と気づいて、自分ももう一度走り出そうと火が付きました。

その中で、三浦功氏に「せっかくここに二つの浜のアカモク生産者がいるのだから、”三陸アカモクプロジェクト”をやればいいじゃないか」と言われ、宮城のアカモク生産者赤間さん(シーフーズあかま)とランチを一緒に食べて意気投合し、東の食の会の後押しもあり本格始動に向けて動き出しました。

※アカモクプロジェクト概要については下記参照
https://www.higashi-no-shoku-no-kai.jp/activity/3240.php
http://www.sanrikufisherman.jp/feature/akamoku.html

 

―アカモクプロジェクトの位置づけ

私としては、今後もアカモクのPR・普及の「手段」として「地域横断アカモクプロジェクト」を続けていきたいと思っています。

そして3〜5年後には、より多くの地域を巻き込んでいれればと思います。

各地域が特有の主力水産品を持ち、さらに副業としてアカモクを生産していければ、全国の漁師が「浜の暮らしの安定」を実現できるはずだからです。
今はまず大半の地域でアカモクが”食べもの”として認知されていないので、今回の動きを通して”食べもの”としてのアカモクの認知度を高めたいです。そうしてアカモクの認知度が上がり、市場が形成された後には、各社でお客さんに選んでもらえるように建設的な自由競争をしていきたいです。

 

<アカモクに対する想い>

―アカモク産業の可能性

わかめ、昆布は今や世界中のスーパーや飲食店に”seaweed”として並んでいますが、アカモクでももちろん世界進出を目指しています。さらに、私はアカモクならば脱水産化ビジネスも狙えると考えています。というのも、アカモクの場合はフコイダンを豊富に含んでいるため医療系まで進出できる可能性があるからです。現に、北米の方で日本産アカモクがサプリメントとして既に売られています。そういった背景から、現在北米にてアカモクのDNA解析などの研究も積極的に行われています。これを京都で既に実用化されている養殖治術と組み合わせれば、良質なアカモクの大量生産も夢ではないと思います。

 

 ―岩手アカモク生産協同組合のビジョン

岩手アカモク生産協同組合としては、3〜5年後までに山田町に新アカモク工場を建てたいです。そして雇用創出、年間を通して収入源を確立し、本当の意味での地域貢献をしたいです。

今回のキックオフでは、その第一歩として十分過ぎるくらいの一歩を踏み出した。山田は牡蠣の養殖場などもあり、アカモクが繁茂する条件が整っています。そのため、今は天然でも供給が足りるという認識が浜でははびこっています。しかしそれでは全国・世界へ向けて生産していくのは現実的に厳しい。そこで、今回で売り上げ実績を作って漁協や県、山田町に養殖の必要性を訴え、実現に向けて動きだしたいです。

そうやって、最終的に浜の暮らしが安定し、水産業従事者の生活が向上していければと思います。

 

 

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